2019.4.17 15年目結婚記念日
青いバラをみながら 朝の珈琲を飲む。
15年目の結婚記念日♡♡♡
子どもたちを送り出したあとに
主人と
わたしの実家のお墓参りへ。
手を合わせると 頭を撫でられてるような感じがして 風がないのに 煙がこちらへ。
しばらく、みてると 今度は主人の方へ。
主人はずっと太陽とは違う方向から光を感じてたらしい。
次に 海沿いをずっと車を走らせて
主人の実家のお墓参りへ。
手を合わせると
鐘がなった。
ずーと前に 霊界とコンタクトがとれる方に
『主人の元にわたしを連れてきたのは、主人方のご先祖さまだよ』と教えてもらったことがある。
そのことを しばらく忘れていたのだけど
つい 先日思い出した
今年の結婚記念日は
お墓参りへ行きたいと お願いした。
15年経って思うのは
ほんのわずかな時間 関わりを持った
恋愛関係の方たちは
わたし個人の その時の感情解放に必要だったり
過去生の無念を消化するためにまた出会っていたりする方たちが
ほとんど だった。
だから 解放や消化、やるべきことが終われば
それは さよなら、という形をとった。
しかしながら
主人だけは
本当に 腐れ縁というのか
何をしても どんな形になっても
根っこの線が切れた感じがしない
個人の やるべきこと を 越えているのだな、と思う。
主人の元にわたしを運んでくれた
主人のご先祖さまたちに手を合わせた。
ありがとう。
すると ふと。
赤ちゃんを連れてきたのは 主人方のご先祖さまたちだと 過る。
ぁあ、そうなんだぁ、と思う。
わたしは 命を繋ぐ畑。
健康で豊かな畑で在れば 彼らはそれだけで喜ぶんだ、と思った
そんな感覚に嫌悪感を抱く女性もいるかもしれないけど
わたしは全くなかった。
豊かな畑でいたいし、また命の種を運んできて欲しいと望んだ。
その後
主人の地元の氏神様へご挨拶。
長女・長男の節句はすべてここでしていたから
子どもたちを連れては来なかったけど
みんな、元気に進級しましたよ、とご報告しました。
離れていても 見守ってくれて ありがとうと
手を合わせました。
すると
女の姿の男だか、男の姿の女だかの大きな存在がぐっと近寄ってきて
『よく来ましたね、愛しい我が子よ』と語りかけた。
どこの神様にとってもわたしたち人間は
子どものようなもの なんだな、と思った。
その後 おみくじをひいたら
『神のみ心は親心、どの子も等しく愛しい』と書かれていて
届いた声がさらに深く届いた。
帰りの車の中で
わたしは 自分が求めるものを本気で自分に与えていない
だから もし それをしたら
自分がどう生きて 周りがどう変わり 人生がどうなるのか
わたしはまだ 何も知らない
他者や親や世間が何を豊かさと言うのか ということは たくさんみてきたけど
わたしが 何を 豊かさと言うのか
わたしはまだ知らない。
まだ 生きていく中で やることがいっぱいある。
そう話した。
今の とっかかりは わたし として存在してる感覚を強めていくこと。
日常のほんのわずかな時に
幸運にも【それ】を感じるときがある。
それは 物質と物質との間にあまり境界線がないこと
心から溢れてくる体感とリンクして
鳥が歌い 木々や花がこちらをみて笑い
風が吹いて 日が強く降り注ぐ
なんとも言えない 感覚 だ。
『祝福されている』
その 言葉がぴったりだ。
そして それが わたしが最も 愛し 求め 安らぐ 感覚 だ。
それを
自然の中にいるときだけじゃなく
家事をするときも
子どもたちと話すときも
買い物するときも
創作するときも
そこと コミュニケーションがとれているとき
わたしは
わたしが求めてるものを与えられている、と思う。
みえないもの
それでも 微かに肌で感じる その
何か
を体で感じること
わたしは それがとても好きなのだ。
それを 体験していきたい、と話した。
それから
出会って初めてのわたしの誕生日に連れてきてくれたお店で ランチを食べた。
花の大きなアレンジメントを誕生日にくれたっけ。
そういえば 主人はずっと わたしへのプレゼントは花だ。
わたしが花をこんなに好きだと自覚する前から
花を贈り続けてくれた人。
帰宅して
次女を迎えにいく。
最近はお買い物も楽しい。
子どもたちにかわいい服を着せることも楽しいし(子どもたちの了解を得てから買うけど)
主人の服を一緒に選ぶのも好き。
わたしも欲しいものがいっぱい出てきた。
ちょっと色柄がはっきりしてるハンドメイドに使う紐と
リメイク出来そうなデニムを買ってもらった♡
トイレから戻ると
次女が
青いバラの花を持っている。
青いリボンがかわいくついてる。
『リボンつけてもらったんだ~』
『ママは青が好きだし、このバラはパパとママ。白い花はお姉ちゃんとお兄ちゃんとわたしと赤ちゃん!!』
と嬉しそう。
これは 結婚記念日 に主人が
『パパとママぽいのを選んで』って
次女にお願いしたらしい。
『奇跡』
blogを書くことは
何も書かれていない本のページが開かれて
時間に 物語を書き込むことだ と
思う。
わたしは これを 求めています!!
これに 興味があり これを 体験したいです!!
わたしの心臓を動かす 命 への手紙のようにも思う。